ドバイの政治・経済・歴史

ドバイの経済状況【ドバイ旅行ツウになる】

ドバイの経済状況について簡単に勉強しましょう。

中東の中央に位置するドバイは、昔から交易の中心地として栄えてきました。1966年、石油が発見されて以降、ドバイは急速に近代化が進むことになります。しかしながら、ドバイは早くから石油依存体質からの脱却を図り、経済の多角化を目指しました。事実、石油部門のGDPに占める比率は年々低下してきました。

近代都市への社会基盤整備が着々と進められ、90年代には国際観光リゾートとしてヨーロッパを中心に人気を博すようになります。21世紀に入り驚異的な経済発展を遂げ、現在では世界各国から企業が進出しています。

ドバイは、海外企業が自由にビジネスできるフリーゾーンを年々増やしています。5千を超える企業が進出したジュベルアリ特区に続いて、IT産業向けインターネットシティ、映像・通信産業のメディアシティ、国際医療ハブのヘルスケアシティ、中国貿易のドラゴンマートなどの自由貿易特区がオープンし成長を続けています。

さらに、国際金融センター、証券取引所、国際金融取引所、商品取引所などが次々に開設され、国際ビジネスの中心としての準備がなされています。

今後もドバイは、ますます多角化し発展し続けるでしょう。

アラブ首長国連邦(UAE)の経済についてはこちら
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ドバイの政治・経済・歴史

ドバイの政治【ドバイ旅行ツウになる】

ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)の1首長国でありますから、ドバイの政治というよりはアラブ首長国連邦の政治と言うべきかも知れませんが、とにかく勉強を始めましょう。

■政治体制:
7首長国による連邦制です。これまでは連邦制強化を主張するアブダビと自治権拡大を主張するドバイやシャルジャの対立がありました。しかし近年ではドバイ側から歩み寄りをみせたためアブダビを中心とした連邦制がより強化されつつあります。
首長国には、税金、交通ルール、酒類の購入などの自治権が認められていますが、法律や外交などは連邦政府に主導権があるようです。

■大統領:
1971年の建国以来UAEを統治し、またアブダビ首長でもあったザーイド・ビンスルターン・アールナフヤーン大統領が2004年11月2日に死去。アブダビ首長にはハリーファ・ビンザーイド・アールナフヤーン皇太子が就き、新大統領にも同皇太子が選ばれました。基本的には前大統領の穏健路線が継承されています。

■副大統領:
これまでマクトゥーム・ドバイ首長が副大統領(首相も兼任)を務めていましたが、2006年1月4日に亡くなりました。現在は、弟のムハンマド・ビンラーシド・アールマクトゥーム皇太子がドバイ首長であり、UAE副大統領であり、首相でもあります。

■最高評議会:
最高評議会は連邦の最高機関で、年に1度議会を開催することが定められており、国防、国際関係、教育、開発などの政策や法律の批准などを行っています。

■民主主義ではない:
ドバイ(他の首長国にも)には現在のところ民主的な選挙制度はありません。政党も存在しません。首長とそのファミリーの権限は絶大で、警察も首長の管轄下にあるほどです。しかし、ドバイでは他のアラブの国々にはない「言論の自由」が保証されているようです。

■外交路線:
アラブ・イスラム諸国とも、西側諸国とも、保守穏健かつ協調的な外交を展開しています。

■こうしてみると、外国人が多いため違和感のない国際都市ドバイも、(当然といえば当然ですが)政治的には全く日本と異なることが分かります。
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ドバイの政治・経済・歴史

ドバイの歴史 【ドバイ旅行ツウになる】

●ドバイは、7世紀ころイスラム帝国、オスマン・トルコなどの強国の支配下にあり、1500年頃からはポルトガルなどの支配を受けました。

●もともと漁村であったドバイは、アブダビの首長ナヒヤーン家と同じバニー=ヤース部族に属するマクトゥーム家が、1830年代にアブダビから移住して立てた首長国です。

●1820年の戦闘に勝利したイギリスは9つの首長国に総合平和条約なるものを押しつけます。そして休戦協定後イギリスの守備隊がその地域に常駐するようになり、その条約は約30年間続くことになります。ヨーロッパ人はその地域を、「トゥルーシャル・コースト(休戦海岸)」と呼びました。このトゥルーシャル・コーストという名前は1971年の独立まで使われることとなります。

●1853年には他の首長国と同時にイギリスの保護国になります。この地域は東インド会社への中継点となり、それらの影響で20世紀初頭には貿易が盛んになり、ドバイは商人の町と呼ばれるようになります。

●経済的に窮乏していたこの地域に変化が起こります。1958年アブダビで、1966年にはドバイで石油が発見されたのです。トゥルーシャル・コーストはこの石油の発見により、急速に近代化が進むことになります。

●1968年、イギリスは1971年に中東からの撤退を発表し、ついに1971年12月2日、アラブ首長国連邦(UAE)が建国されました。

●建国当初は、アブダビ、ドバイ、シャージャ、アジマン、フジャイラの6つの首長国が連合し、そして翌年にラス・アル・ハイマ(カイマ?)が加わり、現在のアラブ首長国連邦となりました。
建国以来、UAEはアラブの世界で最も安定した国です。

●ドバイはUAEの中では2番目の規模ということになりますが、アブダビとはライバル関係のようです。アブダビを抜いてドバイがUAEトップの座を奪い取るのはそう遠くはないかも知れません。

●さて、ドバイの歴史はいかがでしたでしょうか。
ドバイが首長国として存在してからはすでに170年くらい経っていますが、UAEの年齢はまだ30代なんですね〜。
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